訪問リハビリを5~6年ほど提供させていただいた患者様がお亡くなりになったとのご連絡を、ご家族様から人づてにいただき、4月最初の休日に約1年ぶりにご自宅を伺いました。
咲き急いだ桜の舞い散る暖かな夕暮れ、ご遺影に手を合わせ、そういえば春が来るたびに近くの川べりの桜の木まで歩いて行けるようになりたいとおっしゃっていたことを思い出しました。
関節や筋肉のかたさ、起立訓練時に私の肩をつかむ細く曲がった指の力、肌質や体温・・・私の体の中に記憶されている故人を感じながら手を合わせていました。
進行性の難病のため、ご本人もご家族も長く過酷な闘病生活に苦しんでおられました。訪問するたび理学療法士としての非力さ・無力さを思い知らされうなだれて帰る、そんなリハビリを私は延々と繰り返していました。
ご遺影の前で娘さんが、「さいごまで手すりを持ってなんとか立ってくれて...トイレ介助が本当に助かった」と涙ながらにおっしゃってくださった時、私の中に、痛みと混ざり合ったような感謝の念がこみ上げてきました。
その帰り道、別の患者様で若い頃から肺を患っていた方が、急変して搬送先の病院で亡くなった時のことを思い出しました。呼吸リハと併せて構音機能訓練を行っていた患者様でした。病棟看護師から、「息を引き取る時、ありがとう、みたいな言葉をおっしゃっていましたよ」と聞かされました。
後日、ご自宅を伺って奥様にご挨拶をした際に、看護師から聞いた話をお伝えしました。すると、泣き笑いながら奥様は、「それは看護師さんの聞き間違えです。夫は、訪問リハで教わった言葉の練習を、入院してから亡くなる直前まで、ずっと、うわごとのように繰り返していたんです」と教えてくださったのでした。
理学療法士としての非力さにうつむいたり言い訳するよりも、患者様やご家族の想いに少しでもこたえるために、今できる精一杯をトライしていくしかない。
医療従事者でありながら私たちリハ職は、「死」を常に意識して臨床現場に向かうという感覚が、医師・看護師と比べるとどうしても鈍くなりがちです。ターミナル(終末期)を自分たちの仕事の領域外のように感じている療法士も多いように個人的には思います。しかし、超高齢社会・多死社会の日本において、これからリハ職は「自立支援」と「在宅での看取り」という対極の課題に、多職種と共にもっと具体的に向き合い取り組んでいかなければなりません。
地域に根差すことのできるリハビリテーションについて、私が今までに模索してきたことや、蘭畦会スタッフと一緒に構築していきたい今後のリハの在り方など、何度かブログの場をお借りし、拙いながらもお伝えさせていただければと思っております。
リハビリ総合部長 有元 泉